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じぞくのコラム Vol.9 「私だけの “いいかげん”。」

こんにちは。大泉寺寺族の奈美です。

今日は月に一度の坐禅会で、人数が少なかったので久しぶりに一緒に本堂で座ってみました。

お寺に住んでいると坐禅などもしょっちゅうしていると思われる方もいらっしゃるようですが、私にとってお寺は仕事の場であり生活の場です。そして実はじっとしているのは苦手なので坐禅には苦手意識がありました。

大泉寺の坐禅は初心者向けの坐禅会ですが、以前寺族の研修か何かで坐禅をした時は開始直後から「早く終わらないかな。」「お昼ごはんは何かな。」そんなことばかり考えてしまい、長くて退屈な時間でしかなかったのを思い出します。

その時の私もそうでしたが、坐禅は「頑張るもの」で、坐禅によって自分の「悪いところ」を「直す」というように思われる方も多いのではないでしょうか。

ですが実は坐禅は無理して頑張ったり、何かを直すものではないのだそうです。「何も考えてはいけない」というのも違う。

となると坐禅のイメージが違ってきませんか。

大泉寺では八王子まちゼミに参加するときのタイトルを「身体と息と心の調(ととの)え方」としていますが、今日久しぶりに坐ってみて、坐禅は自分の「ちょうど良い加減」をみつけるものなのだなぁと感じました。身体や姿勢の私にとっての「ちょうど良い加減」、私の呼吸の速度の「良い加減」。

住職もいつもそのようなことを言っていますが、今日久しぶりに坐ってみて、思いがけず実際に体感することができました。

心の調え方に関しては「何も考えない」のではなくて、思い浮かんだことの1つひとつを「在る」と感じて葉っぱに乗せて川に流すようなイメージなのだそうです。

今日も坐禅をしながら色んなことが頭の中を駆け巡っていましたが、「私は今こんなこと考えてるんだな。」と思うだけでそれを止めなくてもいいし、日常の中で呼吸にじっと意識を向ける時間なんてなかなかありません。なので久しぶりの坐禅はとても心地良いものでしたよ。

今日は実は坐禅会が始まってから住職に「一緒に坐れば?」と言われて軽い気持ちで坐ったのですが、坐禅するぞ、何かを得るぞ、と意気込んで坐るよりもただ坐ってみるのが私には合っていたのかもしれません。


久保井奈美(大泉寺寺族)
2001年に住職と結婚。
カトリックの高校を卒業後、服飾の専門学校、アルバイト、デザイン事務所を経て、現在は大泉寺で寺務や発信をしています。

 

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