ご本尊さま
修行中のお釈迦さまを表す宝冠のお釈迦さまを中心に、日光菩薩さま、月光菩薩さま、道元禅師さま、瑩山禅師さまが安置されています。
東京都多摩、その丘陵のちょうど中心辺り、八王子という街にあるお寺です。
お寺の役目はお葬式や法事などの儀式、仏事をお勤めすることです。また檀信徒の皆さんの先祖代々をはじめとした「ほとけさま」を納めるお墓の管理も大切な役目です。
そして、それらと同じくらい大切な役目として、お釈迦さまを中心とした、その教えを広く伝えていくことがあります。
そのために大泉寺は社会に向けて、世界に向けて一歩を踏み出すお寺でありたいと思っています。
地域や社会の中ではどんな悩みがあるのか、どんな苦しみがあるのか、そもそもこの世界はどのようなものなのか、それを学び、考える中でも、ふとした一場面にお釈迦さまや仏さまたちの教えが生きていました。また、いろいろな悩みの中で仏教が救いのヒントになることもありました。
一人ひとりの幸せは世界の一部分でしかないかもしれませんが、そのピースが集まって、世界はできています。一人ひとりが幸せであるように、社会全体が優しくあるように、大泉寺は小さな声にも気づき、目を向け、檀信徒の皆さんや地域の皆さんが「安心を得られる身近な居場所」として「生きてるうちにも、亡くなってからも、拠り所にしていただけるところ」にできるよう「ともに学び、考え、歩んでいく」お寺でありたいと思います。
私は14歳の時に父である先代住職のもとで「お坊さん」という職業を選びました。でも、今になって思えば、それは仕事を選んだというだけではなく、それと同時に「お坊さん」として生きることを選んだようにも思います。
お坊さんだからといっても、私は宗学的な専門の知識はまだまだ足りません。
しかし、お檀家さんとのふれ合いや、社会での色々な人との出会いや体験の中で学んだこと、学ばせてもらったことの中で、改めて、お釈迦さまや曹洞宗を開かれた道元禅師さま、瑩山禅師さまのお示しに気付かされるということが多くあります。
まさに現代にも教えが生きているんだな、活かされているんだなと思う瞬間です。
勿論、良かったことだけではありません。
悩んだこと、迷ったこと、辛かったこともたくさんありました。その中で改めて感じさせられるのは「生きている」ことの大切さと、まだまだ私なんぞは「生ききってないなぁ」ということです。
まだまだ、この「いのち」をもって生ききらなければならないということです。
仏教はそうした時に生きるヒントになりました。
仏教を通して、曹洞宗の教えを通して、今の世の中で感じられること、今の世の中にこそ必要なこと、それを身とまごころをもって伝えられる。そんな「お坊さん」でありたいと精進してまいります。
大泉寺 住職
久保井賢丈
宗派 | 曹洞宗(そうとうしゅう) |
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山号 | 法臺山(ほうたいざん) |
御本尊さま | 釈迦牟尼佛(宝冠のお釈迦さま) |
御開山さま | 陽山宗廣大和尚 (甲府市古府中町 大泉寺9世) |
御開基さま | 法臺院殿心鐵宗安大居士 (中川内膳正久盛公) |
中興開山さま | 徳豊恭彦大和尚 (当山第23世・君津市台大雲寺第8世) |
中興開山さま | 興徳院殿泰山普照大居士 (昭和移転・大泉寺再建建設委員長 市瀬泰雄氏) |
寛永3(1626)年、徳川三代将軍家光公治世の慶長年間に、甲府市・大泉寺の草庵として港区麻布今井町(現六本木3丁目)に建立された。
その後、豊後岡藩城主・中川内膳正久盛公が修理大夫秀成(中川秀成、久盛公の父)の菩提供養のためにお取り立てになり、併せて本寺九世陽山宗廣大和尚を拝請し開山とした。久盛公は承応2年に59歳で亡くなられ、その戒名(法号)より山号を「法臺山」というようになった。
創建以来、大変栄えたと伝えられるが、元禄8年、延享3年、天明4年の3回にわたり類焼にあったため、文政8(1825)年に16世・坦然祖俊大和尚が再建を発意し、天保11年に本堂新築及び庫裡の大修復がなった。
しかし、大正12年には関東大震災により本堂、庫裡が半壊。当山22世・悟峰賢宗大和尚が修復を行ったが、震災後の古材を使用せざるを得ず、再び半ば倒壊してしまった。その苦難を越えて、昭和9年には庫裡の新築はしたものの、昭和20年5月25日、第2次世界大戦の東京大空襲で罹災し、本堂・庫裡、本尊仏、仏具一切を全焼してしまう。これにより古記録類も伽藍炎上の余熱で灰となり現存していない。
終戦後、全檀信徒の喜捨(布施)により仮本堂及び庫裡が建てられたが、おりからの高度成長による周囲の都市化により再建の目処が立たなかった。昭和47(1972)年に当山23世・徳豊恭彦大和尚が移転再建を発意し、大泉寺再建建設委員会(委員長・市瀬泰雄氏)を組織し、昭和53年に至って八王子市・大善寺(浄土宗)の跡地を譲り受け、現在地(大和田町7丁目)に墓地ともに移転された。移転当初は旧大善寺本堂(呑龍堂)及び庫裡を修復して使用していたが、老朽化が激しかったために昭和58年に大改築が行なわれた。
その後、かねてより檀信徒からの要望が多かった客殿の建築にも着手し、再度、大泉寺再建建設委員会(委員長・小林邦子氏)を組織して、全檀信徒の協力のもと平成10(1998)年、客殿と庫裡を新築、併せて本堂の補修(注・一部、旧大善寺の江戸期の建築資材も残している)を行い、現在に至っている。
修行中のお釈迦さまを表す宝冠のお釈迦さまを中心に、日光菩薩さま、月光菩薩さま、道元禅師さま、瑩山禅師さまが安置されています。
旧大善寺本堂(呑龍堂、現・大谷町大善寺さま)を改修したものです。天井内の梁は今でも当時のものが使われています。
人々の苦しみ、悲しみ、救いを求める声を聴いてくださる仏さまです。大泉寺の観音さまは人々を救うために半歩を踏み出されています。
境内のあちらこちらにいらっしゃるお地蔵さまは、人々を救い、導いてくれる仏さまです。特に子どもたちを守ってくださる仏さまでもあります。
見晴らしがよく、八王子市街を一望できます。晴れた日には富士山を、12月の冬至の頃にはダイヤモンド富士を拝むことができます。
檀信徒の皆さんのお力添えをいただき建てられました。お檀家さまには自由にお使いいただけます。
曹洞宗では「人権の尊重・平和の実現・環境の保全」を柱に
社会に向けた取り組みをしています。
曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。
私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。
お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。
日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。
*宗旨、教義はSOTOZEN NETから引用
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