大泉寺 鹿野苑のつどい2025レポート 「意外と知らない?神道のこと」板橋区・前野熊野神社禰宜‐小泉泰司さん2025.12.9

大泉寺 鹿野苑のつどい2025レポート

「意外と知らない?神道のこと」

🔶板橋区・前野熊野神社禰宜‐小泉泰司さん2025.12.9

 

大泉寺ではお釈迦さまがお悟りを開かれた成道会(じょうどうえ)にちなんで毎年この季節に「鹿野苑(ろくやおん)のつどい」を開催しています。

 

<成道会と鹿野苑>

12月8日はお釈迦さまがお悟りを開かれた日であり、この日を成道会(じょうどうえ)といいます。大泉寺では毎年この時節、その法要に併せて「鹿野苑(ろくやおん)のつどい」と題して講演会、学習会も行ってきました。

「鹿野苑」とはお釈迦さまが初めて説法をなさった場所です。お悟りを開かれたお釈迦さまはその教えを広く理解してもらおうと決意されて、かつて苦行(修行)を共にした仲間の元へと向かいました。しかしお釈迦さまが「苦行を捨てて逃げだした」と感じていた仲間たちは受け入れようとしません。悩まれたお釈迦さまは、その野原にいた鹿たちを相手に自分のお悟りを初めて説法をされました。この説法を隠れて聞いていた五人の修行仲間は、その説法に感銘を受け、すぐにお釈迦さまの最初の弟子になるのでした。

この故事にならい、大泉寺では成道会の行事に併せて新しい事を知り、考えたことが無かったことを考え、新しい「気付き」を得られる場になるようにしてきました。

 

◎成道会法要

成道会の法要は曹洞宗の東京都多摩地区の青年僧侶の会である一歩の会の皆さんのお力添えをいただき、厳かにお勤めさせていただきました。

また大泉寺の寺宝の一つである「釈迦出山図」の御開帳も行いました。

◎学習会(意外と知らない?神道のこと:板橋区・前野熊野神社禰宜‐小泉泰司さん)

本年で9回目となる「鹿野苑のつどい」は、板橋区にある前野熊野神社で禰宜を務められている小泉泰司さんをお招きし、「神道」についてのお話しをいただきました。

「何故にお寺で『神道』のことを学ぶの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。今年の秋のお彼岸のことです。ふと「なんで、お彼岸の中日は祝日なのに、お盆は祝日ではないのだろう、、、、」と思って調べてみると、この日は仏教的にはお彼岸の中日に合わせて、お檀家さんをはじめ多くの方が交通渋滞の中にもかかわらずお詣りにいらっしゃいますが、同時に宮中に於いても宮中祭祀が行われているのだと知りました。つまりは「お彼岸の中日だから」ではなく、「宮中祭祀がある」から「国民の祝日」となっているのです。そこで気になって更に調べてみると「祝日」とされる日の多くが宮家との関連で決められていることを知りました。また仏教行事の中でも、特にお盆などは古式神道に通じる民俗的な信仰と重なり合う部分も多く、そんな些細な「気付き」から改めて「神道」や「古い民俗信仰」の考え方が日本という「国」と「民」に与えている影響について知っておきたいと思わされました。

 

昨今の日本社会は「宗教離れ」の風潮が見られると報道などでも耳にされたことがあるのではないでしょうか?

しかし正月の初詣、節分、お盆、お彼岸、七五三などのお宮参り、鎮守さまのお祭り、受験などの合格祈願、、、、などには、その折に触れて、まだまだ多くの方々が神社やお寺に足を運びます。そうした社会の在り方を見たとき、特に神道・古道といわれる古来の日本民族が持っていた民俗的宗教観はまだまだ残っているのではないではないかとも思います。それは気が付いていない(意識していない)だけで、実際には「国民の祝日」のように私たちの生活とも関連したものでもあるのです。

そう考えれば、昨今の風潮は「宗教離れ」ではなく、自分の思考や行動が「宗教にねざしたものだと気が付いていない(知らない)」という事になります。

しかし、改めて「神道とは、どういう宗教か?」と問われると意外と解っているようでわかっておらず、答えに窮する人も多いのではないかとも思います。

本年の「鹿野苑のつどい」は、そうした住職の素朴な疑問から企画しました。

 

小泉さんによれば、現在の「古式神道」と分類されるものは仏教伝来以前からあった日本民族の民間信仰であり、仏教が伝来され弘められる中で、それと区別にするために「神道・古道」と呼ばれるようになったのだそうです。八百万(万物)に宿る御霊(神さま)に謙虚な心で感謝を伝えることを大切にし、そこには各家の先祖代々だけでなく「先人」をも含む御霊を「祖霊」として崇拝する。よって経典や明確な教義や対象はなく、何かを達成することを目的とするわけでもなく、「道半ば」でも、ある意味では「あいまい」な「自然(しぜん・じねん)」に流されるままに捉えていくのだとお話しくださいました。小泉さんもおっしゃっていましたが「諸行無常の世」を「あるがままに生きる」という禅の考え方とも近しいものを感じました。

 

また、「国」と「民」の共栄共存のための「いのり」を形にすることが「祭(まつり)」である、ともお話しくださいました。

 

「万物に生かされる」、「先人の教えを大切する」、そして、そこに感謝の心を向けるという内容は日本仏教と影響しあいながら双方の祭祀や儀礼、もっと言えば風習、その根底にある「考え方」にも繋がってきたのだろうと感じました。

また参加者からの質問にも挙げられていましたが、「生死観」、「亡くなったら、どこに行く」などの「『いのち』観」についても興味深くご指導をいただきました。

つまりは「あなた」の「いのち」は何から授かり、「どこに行くのか?」という感覚や、そこから生まれる価値観は何処からくるのか、ということです。

 

私たちは、この世の「善悪」の判断、何が善いことで、何が悪いのかという感覚は何を基準に決めているのでしょう。そこには各々の「『いのち』の価値観」が大切な基準になるのではないかと思います。

「善悪」の判断は「倫理」や「道徳」によるものですが、更にその土台にあるのが「宗教観」なのではないでしょうか?

では、私たちは自身の「いのち」を、どう見つめるか?

では、私たちにとっての「いのち」とは?

そんなことも考えさせられる深い学びがいただけました。

 

また参拝のお作法や神社によく見られる風景など、参加者の些細な疑問についてのお話も、小泉さんの優しくも屈託のない雰囲気のお人柄ともあいまって、和やかに進められました。

参加いただいた皆さんからも「楽しかった」、「普段の生活の中にもつながる感覚があり、すっきりした」、「もっと聞きたかった」、「ひろく、ゆるく捉えるのも深い」などの感想をいただきました。

 

こうした貴重なお時間を作っていただいた小泉さん、また一緒に考える場を作っていただいた参加者お一人お一人に改めて感謝申し上げます。

 

文責:久保井賢丈

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